意根には恒常に審査し思量する特性があります。「恒」とは常に、絶え間なく続くことを意味し、「審」は審査や審慮を指し、「思量」とは思慮、度量、衡量、思索を表します。意根がこの性質を有することは、意根が決定者であり主宰者であり、一切の法に対して最終的な決定権を有することを示しています。では、意根のこの機能はどのように作用するのでしょうか。それは意根が五遍行心所法、五別境心所法、および善悪心所法を通じて発揮されるのです。
意根が主宰する識として一切の法を統べるためには、相当の判断力を備えていなければなりません。では意根は何に依拠して判断し選択するのでしょうか。意根は自らの思量性に依って判断を下します。もし意根が単独で思量できなければ、自らの判断を形成し選択を決断することは不可能であり、主宰者としての機能を果たせません。意根の単独思量は時に六識から伝達される情報や、意識の分析的思考・論理的推論に依存しますが、いずれの場合も意根は六識の情報を得た上で自ら審査思量を重ね、最終判断を下すのです。
日中に大量の情報を得た意根が処理しきれない場合、六識の干渉のない夜間にそれらを濾過し続け、時に夢境を現出させ意識に補助を求めることがあります。夜間に結論を得た意根は、朝目覚めた際に意識がその結論を把握し、夢の内容を想起させることも可能です。
元素周期表の解明や多くの科学的難問が夢中で解決された例が伝えられています。意識では解決不可能な問題も、意根の思量作用によって突如理解が訪れることがあるのです。これは意識を介さず意根単独で行われる思量の成果です。
科学研究に没頭する者たちが昼夜を問わず探究を続け、睡眠中も目覚めて思索を継続したり夢境を活用する現象は、意根が昼夜を分かたず精進している現れです。これこそ意根の用いる精進の姿であり、心所法が具足している証左です。
もし意根の心所法が不完全であれば、これほどの発明創造も深奥なる問題の解明も不可能であったでしょう。心所法の不具足は、あらゆる営為を無力化するのです。
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