阿頼耶識という名称は、八地菩薩以前の衆生が用いるものである。八地菩薩以降は名称が改められ、異熟識と呼ばれる。阿頼耶識という名称は、衆生の如来蔵に七識の煩悩業種と煩悩習気の種子が残存していることを示す。これらの種子は生滅変異するものであり、不生不滅の如来蔵と和合することによって、不生不滅の阿頼耶識が成立する。もし阿頼耶識に含蔵されている七識の生滅する業種が消滅し、七識が煩悩を断じ、さらに煩悩習気をも断じたならば、阿頼耶識は異熟識と改称される。
修行とは七識の染汚性を改め、七識の貪瞋痴の煩悩と煩悩習気を除去し、無明を断じ、漸次に七識心の染汚性を転換させ、その清浄性を増していくことである。この修行においては、第八識に依止し、第八識の体性を明らかに見定め、第八識を証得した上で、さらに第八識の清浄性と無漏の有為性を観察することにより、七識は薫染を受け、次第に第八識の清浄性に近づき、虚妄の世間法に貪執することなく、七識は解脱を得て仏道を成就する。なかでも第八識の証得は極めて重要であり、第八識を証得して初めて法界の実相を知り、我執と法執を断じ、究竟の仏果を得ることができるのである。
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