識心あるが故に五蘊の受・想・行・識あり、五蘊の虚妄なる非我の性質を観行し、色身の虚妄性と識心の虚妄性を共に観行し得て、極めて確信を得るに至れば、我見を断じて証果する。福德等の因縁が具われば、何れの法においても観行思惟可能なり、我見を断ずることも、観行によって第八識を証得することも叶う。これは専ら福德・定力・智慧と因縁の時節による。我見を断ずる証果は段階を異にし、明心開悟もまた多様なる層別あり、七住位の悟り、初地菩薩の悟り、諸地菩薩の悟り、仏地の悟りなど、各人の悟りの層位と深さは同一ならず、得る智慧の差別も甚だ大なり。
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