衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常法話

2019年08月22日    木曜日     第3開示 合計1856開示

無為法とは何か?

無為法とは、一つには真心本来の無為性を指し、もう一つは七識の妄心が修行を通じて後天的に具える無為の心性を指す。無為には生滅がなく、有為には生滅がある。第八識は有為性も有すれば無為性も有する。

第八識の無為性とは、自心の本性が無所為であることを指し、一切の法に対して無心であり、能動的に何らかの法を造作しようとする心行がなく、一切の法に対して主宰しないことを意味する。第八識が万法を出生する際には造作と心行が存在するが、心性は依然として無為であり、能動的に造作する心がなく、自らが何を造作しているかを知らず、境界の法に対して全く知ろうとせず、また知りたいとも思わないが、縁に随って一切の法を出生する。もし第八識が無為法でなければ、世出世間に無為法は存在し得ない。七識がいかに無為であっても第八識の無為には及ばず、たとえ仏地の七識といえども同様である。

第八識は如何にして無為であるのか。無数の世俗法を造就しているにもかかわらず、心は依然として空であり、無心であり、無願であり、起滅がなく、主宰性がなく、無我性である。第八識は無我性であり、無我なるものは無為である。自我のためではなく、いかなる目的のためでもなく、私利がない。もし無我の心がなお有為法に属するならば、これは深刻な矛盾である。

もし第八識が純粋に有為法であるならば、それは必ず生滅する。第八識は如何にして有為であるのか。世俗法を造就することが有為である。もし第八識が純粋に有為であるならば、七つの識はどのようにして第八識に近づき、第八識に学んで自らの心性を改め得ようか。七つの識は如何にして一切の境界に如如不動で臨み得ようか。七つの識は如何にして無為に至り仏道を成就し得ようか。七つの識は第八識に何を学ぶのか。もし第八識が純粋に有為法であるならば、私たちが参禅して第八識を証することも不要であり、悟った後も第八識の清浄無為性に転依することはできず、七つの識は永遠に心性を転変できず、このように悟っても悟らなくても成仏は不可能である。

——生如法師の開示
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