問:じょうが深まると呼吸は緩やかで短くなり、呼吸の間隔が長くなるのでしょうか。また最近、観行 (vipaśyanā-caryā) で法義を思惟していると、よく観行の途中で言葉や文字がなくなりそこで止まってしまい、前の思惟の内容と少し繋がらないように感じます。
答:禅定がますます深くなると、意根はじょうがあるために身体へのコントロールを緩め、呼吸もあまりコントロールしなくなり、呼吸への執著が少なくなるので、呼吸はますます軽く緩やかになり、呼吸の時間が長くなり、途中で止まっているかのように見えます。それを呼吸の間隔が短いと誤解するのです。呼吸が軽微になるため、呼吸が途切れそうだと誤って感じますが、実際には呼吸の一口に必要な時間が長くなり、非常に緩やかになったのです。非常にゆっくり、非常に軽く、非常に深く感じられます。途切れそうに感じるときにこそ、短く感じられる可能性があります。四禅のじょうの中で初めて呼吸を断つことができ、四禅より前は依然として呼吸があり、ただ途切れそうに感じられるだけで、途中の間隔が長くなっているのです。このとき思惟も断たれようとし、思惟は非常に緩やかになり、非常に疲れを感じ、大脳を空っぽにしてこそ心地よく感じられます。
じょうの中で思惟し、じょうが深くなると、意根は何の法にも攀縁したくなくなり、意識の働きは非常に緩やかになり、意識が滅しようとするように感じられ、言葉や文字が欲しくなくなり、余計で煩わしく疲れると感じます。心行がますます緩やかになると、問題を考えたくなくなり、妄念も少なくなり、妄念があっても疲れます。意識が何の造作もしなくなると、意根の働きが際立ってきます。なぜなら意識の思惟が活発なときには、意根の働きは覆い隠されているからです。禅定が深いときには、意根の働きが際立ち、このとき心の中に言葉や文字がないことに気づきます。しかし意識に言葉や文字がなく、意根が出てきたときも、やはり言葉や文字はありません。このとき意根の働きは非常に際立ち、明確になります。
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