そして我執と法執も無明に属し、業種はなく、無始劫以前から存在しており、業を造って作り出したものではない。しかし、意識が後天的に環境の中で熏染されることによって、意根の我執と法執も増長し、意根の自己執着が強化される。これらの無明は、修道によってのみ徐々に滅除できる。無始劫以前から無明があったため、無明によって理由もなく業行を造るのであり、無明がなければ業行を造ろうとは思わない。仏菩薩の清浄な大願は別である。
無明によって造られた業種を無明業と呼ぶ。無明業はまた辗转して意根の無明を熏染し強化する。これらの無明業行は、報いを受けることによって滅除できるが、無明は証道によってのみ消除でき、どの程度の道を証するかによって、どの程度の無明が消除されるのである。
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