衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年05月12日    日曜日     第4開示 合計1521開示

我執法執はいかに出現し滅除されるのか

無始劫以前、意根と如来蔵だけがあり、六識と五陰身はなく、世界もなかった。その時、意根には無明があったが、この無明には業種がなかった。なぜなら、六識が意根のために業を造ることがなかったからである。だから意根は無記であると言われる。意根は単独では業を造ることができず、業を造るための道具がなければ業を造れない。意根は後ろで垂簾聴政し、指揮棒を持って指揮するだけの役割であり、前線で戦うことは六識に任せていた。表面的には六識が業を造っているように見えるが、実際にはすべて意根が陣頭指揮を執っているのである。事情を知らない人は功過を六識のせいにする。

そして我執と法執も無明に属し、業種はなく、無始劫以前から存在しており、業を造って作り出したものではない。しかし、意識が後天的に環境の中で熏染されることによって、意根の我執と法執も増長し、意根の自己執着が強化される。これらの無明は、修道によってのみ徐々に滅除できる。無始劫以前から無明があったため、無明によって理由もなく業行を造るのであり、無明がなければ業行を造ろうとは思わない。仏菩薩の清浄な大願は別である。

無明によって造られた業種を無明業と呼ぶ。無明業はまた辗转して意根の無明を熏染し強化する。これらの無明業行は、報いを受けることによって滅除できるが、無明は証道によってのみ消除でき、どの程度の道を証するかによって、どの程度の無明が消除されるのである。

——生如法師の開示
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