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日常開示

2019年05月08日    水曜日     第2 回の開示 合計1507回の開示

金剛経唯識深義(150)

原文:何以故。一切有為法。夢幻泡影の如し。露の如く電の如し。応に如是の観を作すべし。仏此の経を説き已り。長老須菩提。及び諸の比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。一切世間の天人阿修羅。仏の説きたまう所を聞き。皆大歓喜し。信受奉行せり。

釈:何故に金剛経を説く時に、相を取らず、如如不動であるべきか。一切の有為の法は、夢の如く、幻の如く、泡の如く、影の如く、露の如く、虚空の電光の如きものなればなり。菩薩たる者は世間の一切有為法に対し、常に此の如き観照を為し、如是の見方をなすべし。世尊が金剛経を説き終えられし時、当機の長老須菩提を始め、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆弟子、及び一切世間の天人阿修羅ら、仏の説法を聞き、皆歓喜し、信じて受け奉り行うところとなれり。

世尊は法会の終わりに、有名なる四句の偈を以て一切有為法の虚妄不実を明かされし。虚妄不実なるが故に、菩薩は再び執着し、取着し、動転する必要なきこと、恰も夢中の如し。夢中の一切を如何に執り、如何に動転せしめ業を造るとも、畢竟何ものも得ること能わず。誰人も夢より毫末をも得たることなし。徒らに心を労するも何の益かあらん。

一切有為法は如来蔵の縁に依りて幻化せしものなり。魔術師が意念に成る一切の人事物が虚空に忽然と現じつつ、其の意念を収むる時は一切空無に帰するが如し。何ぞ把捉を労し、徒らに心を役するの要あらんや。一切有為法は如来蔵の大海より生ずる泡沫の如く、大海に浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶ。三界世間の一切は恰も海水の泡沫の如く、生滅相続して大海に帰す。何ぞ徒らに泡沫を執りて大海を見ざらん。

一切有為法は月影の千万の河海に映ずるが如く、有るに似て無く、無きに似て有り。見るには有れども掬い得ず。凡夫は痴猴の如く、手を執りて掬わんとすれど空々として物無し。菩薩の智者は智慧の眼を以て影と観照し、何の捉うべきかあらん。一切有為法は朝露の如く、朝日昇れば転瞬にして消え、速やかに生滅す。何の執るべきかあらん。一切有為法は雨中の電光の如く、刹那に虚空を劃して瞬時にして蹤跡無し。驚魂未だ定まらざるに、其の姿は既に消え失せん。

世尊は教えて曰く、菩薩は悟りて後、常に此の如き観照を為すべし。則ち自心清浄にして執取無く、一塵も染まず、一法も執せず。かくして本心真如に相応じ、真如に随順して無上菩提を得ることを能くす。此の執取無き心を以て衆生に金剛経を説き、諸の衆生を度し、共に幻塵を出で、幻影を滅し、諸仏の大智慧海に入り、諸仏の一切種智を円成せしむ。

此の如く金剛経を受持読誦し、如来蔵法を演説するは、其の福徳智慧、世間の衆生に比ぶるに誰か堪えん。其れ誰か勝る者あらん。此の如く自利利他するは、豈に妙ならずや。豈に快ならずや。終に世尊此の経を演じ終えられし時、四衆弟子・人天大衆、信ぜざる無く、受けざる無く、奉ぜざる無く、行わざる無し。これを如来の説きたまう金剛般若波羅蜜経を信受奉行すと名づく。

——生如法師の開示
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