原文:須菩提よ。法相と説くものは、如来は即ち法相に非ずと説く。これを法相と名づく。
釈:世尊は説かれた:須菩提よ、衆生が説くところのいわゆる法相は、如来によれば真実に存在する法相ではなく、実在する法相ではない。ただの名称に過ぎない。ゆえに仮に法相と名づけるのである。
法相には、三界世間における色法相と心法相が含まれる。色法相とは五根、および六根が対応する色・声・香・味・触・法である。外相分の色・声・香・味・触・法であれ、内相分の色・声・香・味・触・法であれ、真実に存在する法相ではない。表面上は存在するように見えるが、実質は空である。これらの色法相はすべて如来蔵が四大種子を出力して構成したものである。したがって幻化されたものであり、あたかも虚空の花のごとく、陽炎のごとく、光影のごとく、水中の月のようである。その本質はすべて如来蔵の法相であり、如来蔵の法相もまた空である。ゆえに色・声・香・味・触・法および五根はすべて空相である。したがって即ち法相に非ず、ただ名称のみで実体はない。
心法相とは、七識心の法相、および七識に伴う心所法の法相である。七識の法相は、如来蔵が七識の識種子を出力して形成されたものである。識種子は刹那に出生し、また刹那に滅する。生滅変異し、虚妄で実体がない。七識が運行する時の行相は、表面上は存在するように見えるが、実質は空である。あたかも陽炎のようで、人の目を惑わすに過ぎない。ゆえに七識もまた真実に存在するものではなく、真実の法相はない。その本質は如来蔵の空相である。
七識が運行する行相は、心所法の形式によって運行する。これには作意・触・受・想・思という五遍行心所法、およびその他のすべての心所法が含まれる。七識が一たび運行すると、これら五つの心所法は七識に伴って現行する。他の心所法も時に七識に伴って現行する。七識が生じれば心所法はそれに従って現行し、七識が滅すれば心所法はそれに従って滅する。七識心は生滅して虚妄であり、真実ではない。心所法はさらに生滅して虚妄であり、真実ではない。その表面上の運行行相は存在するように見えるが、実質は空幻であり、得るところがない。本質はすべて如来蔵の空相である。ゆえに心法相もまた空であり、ただの名称に過ぎない。したがって仏は法相を説くが、即ち法相に非ず、真実に存在する法相ではなく、すべてただの名称に過ぎない。真に受けてはならないし、執着してもならないのである。
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