衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年08月31日    月曜日     第1開示 合計4825開示

意根に判断力はあるか?

智慧があれば判断力がある。思量とは判断であり、思量の過程は判断の過程であり、思量の結果は抉択をすることである。判断がなければ抉択することもできない。意根は作主識であって、五陰身全体の運行を主宰しているから、判断力がなければ五陰身の身口意行を主宰することができず、それでは作主識と称することもできなくなる。では誰が作主するのか。意根の判断力は不可欠なものであり、ただ判断力の大小の問題、および正確であるか否かの問題に関わるにすぎない。

意根がどの法において判断力が大きく、どの法において判断力が小さいか;いつ判断力が大きくて正確であり、いつ判断力が小さくてあまり正確でないか;どのような場合には六識の了別に依って判断し、どのような場合には六識の了別に依らずに判断できるか、このような差別が存在する。意根が了別の明瞭な法においては判断力が大きい。了別が明瞭でこそ判断しやすく、迅速かつ正確に判断できるからである。意根が了別を明瞭にできなければ、判断できないか、あるいは迅速かつ正確に判断することができない。意根は理解できない法に対しては、ためらうか、判断が狂うかであり、このようにして意根の下す決策は盲目的で誤ったものとなる。意根の抉択が誤れば、六識の執行も誤ることになる。

しかし観察してみれば、世俗法において、衆生の抉択はすべて誤りで盲目的なものであろうか。明らかにそうではなく、正確無誤なときは少なくなく、多くの場合は情理にかなっているはずである。これは意根に判断力があり、その判断力も小さくないことを示している。判断できない場合も存在し、決めかねてためらう場合も存在し、判断を誤る場合もなお存在する。これは意根自身の智慧に関わり、意根の勝解力に関わるのである。

意根の判断は、一方では法に直接依拠して判断する。意根が慣れ親しんでいる法ほど、経験を積んだ法ほど、単独で判断しやすく、重大で危急な法に対するほど、単独で迅速に判断しやすく、その後に抉択をなし、六識が出生してから造作する。意根が接触する境界法を勝解できなければ、迅速かつ正確な判断を下すことができない。他方、意根の了別は粗いため、細かく了別しようとすれば、六識の了別に依り、意識の思惟・分析・研究・推理と判断に依らなければならず、それから六識が伝えてきた情報に基づいて、自ら単独で思量と判断を行い、六識が出生して執行する。意根が六識の了別した内容を勝解できず、意識が思惟・分析・理解・判断した内容を勝解できなければ、判断と抉択をすることもできず、あるいは判断・抉択が誤って、六識がさらに誤って執行することになる。

——生如法師の開示
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意根の強大な択択性

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意根の思心所法が眼識・意識の了別を決定する

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