盗みの内容は実に多様であり、色・声・香・味・触・法に他ならない。目で触れられる物の色相だけでなく、耳で触れられる音声、鼻で触れられる香塵、舌で触れられる味塵、身で触れられる触塵も含まれる。二人が密かに話している場合、その内容は秘密であり、他人に知られたくないものであるならば、故意に盗み聞きしてはならない。盗み聞きすれば盗みを犯すことになる。
香塵の香気は揮発性のものである。もし他人が貴重としているものであれば、わざわざ嗅いではならない。特に諸仏菩薩三宝に供養する香りの場合、嗅ぐことを避けるべきである。天人、鬼神、非人に供養する香りは、なおさら嗅いではならない。それは飲食と同様である。飲食の味塵は盗みにくいが、絶対に不可能というわけではない。例えば、食品が作られ、許可なく先に味見をすること。病人が寝たきりで、自分で食事ができず、食事を介助する必要がある場合、彼らもまた食事の味を享受する必要がある。彼らに食事を与える際には、できるだけ味見をせず、原味を保って与えるべきである。
触塵を盗用する機会は多くないが、存在する。他人の身の回りの器具の冷熱温度や身体の温度、および身体接触を、相手の同意なく盗むこと。柔らかく繊細な物品を主人の同意なく触り、乱れや変質を引き起こすこと。寝具や布団などの細やかで快適な物品を、主人が使用する前に先に接触し横臥することは、すべて盗みに属する。主人が気にしなければ盗みにはならないが、気にする場合は盗みを犯すことになる。
法の盗みとはどのような状況か。法は五塵上の法と、五塵に関係のない独影境を含む。五塵上の法とは、法処所摂の色法であり、色・声・香・味・触に関連する類似の法に属する。例えば色法塵は、見える物質上の形色・表色・無表色である。人の容姿・形儀・気質など、花の姿態・趣など。許可なく鑑賞享受すれば、盗みを犯すことになる。音声の表色・無表色もまた法塵であり、許可なく擅自に音楽を鑑賞し、音声の美しさや心地よさを享受すれば、盗みを犯すことになる。香・味・触もすべて同様である。
五塵に関連しない法塵は、非色法であり、五識では知ることができず、五俱意識では覚知できず、独頭意識のみが覚知できる。この時、法塵は独影境となり、定中の独影境、夢中の独影境、および非定非夢の散乱した独頭意識が思惟する境界を含む。では、この部分の内容は盗むことができるのか。他人の思想境界を、自分の思想境界として宣伝すること。他人の定境・夢境を、自分の境界として宣伝すること。他人の見解を、自分の見解として宣伝使用すること。他人の策略・戦略・方針・指導思想を、自分のものとして宣伝使用すること。これが法の盗みである。もし相手が同意・授意・許可した場合、相手が気にしない場合は、法の盗みにはならない。
周遍に観察すると、人間の世界の至る所に盗みが存在しないことはなく、人心は利己的で、ただ個人の安楽のためだけに、他人を顧みることなく、あらゆる場所で盗取・侵奪・侵略している。衆生は無始劫以来、最大の盗みは、色・声・香・味・触・法を盗み取り、如来蔵中の一切の宝蔵を盗み取ることである。自ら気づかず、恥じず、感謝の念を持たない。
仏が最初に説かれた法も善法に及び、例えば五戒十善である。五戒を満たせば人身を得、十善が満たされれば天に昇る。これは仏法を修学する基礎であり、この基礎をもって再び次第に阿含解脱道、苦集滅道の四聖諦を進修する。仏法とは善法であり、世間の善法を含むが、単に世間の善法ではなく、単に娑婆世界南瞻部洲の人類の善法ではなく、最も主要なのは出世間の善法である。出世間の善法を修することによってのみ無明を滅除し、大解脱を得て、仏道を成就することができる。
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