問:第七識は報身仏を成就し、無数の第六識は応身仏を成就します。これは正しいでしょうか。
答:応身仏もまた意根によって成就されます。一切の法は意根によって発起され、如来蔵が変現し配合して生じるものです。一切の意生身は意根によって成就され、如来蔵によって化現されます。
問:報身仏は変易生死のある大菩薩のために説法し、色究竟天におられます。応化身仏は分段生死のある衆生のために説法し、主に人間界で活動されます。報身も応化身もともに世間にあり、大いに仏事を行い、法を弘めて衆生を度します。これは正しいでしょうか。
答:「世」は流転を表し、流転は時間の移り変わりを伴います。「間」は地理的な方位、空間的な位置、すなわち国土器界を表します。一切の法の出現は必ず世間において起こります。世と間を離れては如来蔵が幻化する法は存在せず、世間とはすなわち世があり間がある状態です。世と間のない法は、ただ如来蔵一法のみ、すなわち諸仏の法身です。諸仏の報身と応化身には、いずれも世と間があり、寿命もあり国土もあります。
十方の諸仏国土において、仏が住世される限り、登地の大菩薩が仏に随って修学し、仏は甚深なる唯識種智を説かれます。例えば極楽世界には無量の大菩薩がおられるため、阿弥陀仏は必ずこれらの菩薩に唯識種智を説かれます。さもなければ、なぜあの大菩薩たちが阿弥陀仏の周りに集まるのでしょうか。
釈迦仏も私たちの娑婆世界で唯識種智の法を説かれ、残された経典もありますが、同様に伝わらなかった経典も必ず存在します。私たちが知らないからといって、存在しないわけではありません。
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