衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年07月10日    火曜日     第2開示 合計727開示

法身と般若

郁郁たる黄花はことごとく般若であり、青々とした翠竹はみな法身である。毎日目を向けて鬱蒼とした黄花を見るとき、般若の妙理が心に現れ、青々とした翠竹を見るとき、法身が躍り出て現れる。すべては般若の妙用であり、法身は遍く満ちている。衆生は一瞬たりとも法身から離れたことはなく、刹那の間に般若をことごとく顕している。ただ無明が心眼を覆い、般若を見ず、法身を知らないのである。法身を離れれば業障の身はなく、般若を離れれば黄花も翠竹も見えない。

学人が雲門禅師に問うた:「仏とは何ですか?」雲門はまっすぐに指さして言った:「乾屎橛(かんしけつ)である」

音声を離れて聴き、文字を離れて見よ。乾——屎——橛、法身は混じり合って滾滾と現れる。法身は乾屎橛ではなく、乾屎橛は般若ではない、乾屎橛は乾屎橛ではない。聖王は凡塵に混じり、烏雲を撥ね除けて慧日を見る必要がある。もし乾屎を見て法身を見ず、乾屎に執着して般若を理解できないならば。

——生如法師の開示
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四大微粒子の引き合い補い合いは如来蔵の不思議な働きであります

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禅定が生じる諸情形

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