衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年07月14日    土曜日     第3 回の開示 合計739回の開示

実証的な功徳の受用

意根が法と相応し、触発される時に初めて身心の反応が生じる。意根が以前知らなかった理を今知り、元来誤解していた理を今理解すると、身心の反応が現れ、自らの情緒と心境を表現する。証果を得る前に既にこれらの状態が現れることがあり、証果後や明心開悟後には身心の反応がより顕著となる。これが実証による功徳の受用である。これらの現象が無ければ、意根が触発されていないことを示し、大乗小乗を問わず解悟に留まり、何らの功徳受用も無い。解悟の結果は命終の時に明らかとなる。

故に各人は自らの生死の大事に対し責任を負うべきである。安易に高帽子を被ったり、未証を証と偽ってはならない。聖賢の心行と智慧を備えずに、仏法を多少理解したとしても、何の意味があるだろうか。多くの者が仏法を幾分か理解するや、聖賢を自任するが、実際には実証の功徳受用が無く、徳が位に伴わぬため、遅かれ早かれ問題が生じる。特に命終の時、果報は微塵も曖昧にされない。

——生如法師の開示
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