衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年09月16日    日曜日     第2 回の開示 合計829回の開示

執着を減らすほど禅定は生じやすくなる

もし心が常にさまざまな境界に動揺し、境界に従って転じるならば、止めることができず、止めがなければ観じることもできない。戒律は非を防ぎ悪を止め、心の散乱を防ぐもので、煩悩を降伏させるために用いられる。煩悩が鎮められた後、心が乱れず動かず、境界が現れても心が攀縁を少なくしてこそ、禅定が容易に修められる。内心が衣食住に重きを置き、愛好や願望が多く、気にかける人事物が多いならば、心は乱れ麻の如く、どうして止められようか。趣味嗜好を減らし、心の縁を減らせば、心は少しずつ止まり得る。周囲の一切の人事物に対し、興味を持たず、気にかけず、心の攀縁を少なくし、心を内に収め、外へ散じさせなければ、必ず定が現れる。

人の世において趣味嗜好が多く、世の事様々に縁に攀じ、時処所々に自己を表現しようとし、内面に常に我というものが現れるならば、心は寂止を得られない。命終の時には、この世の人生が実は何の収穫もなく、徒労に終わったことに気付くであろう。故に今こそ早く方向を転じ、心の内なる宝蔵を多く開発すべきで、外へ貪り求めて心を乱してはならない。人生には必ず得失があり、自らよく計算し、何を得ることが最大の利益かを見極めねば、後世において確かな保証を得ることができるのである。

——生如法師の開示
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