苦でもなく楽でもない受もまた受であり、刹那刹那に生滅し、移り変わり変化することを行苦と名付け、それゆえに全ての受は苦である。しかし、苦でもなく楽でもない受は受の中では最も安楽自在な受であり、心を乱さない。この受は、第一に智慧によって引き起こされ、第二に禅定によって引き起こされ、第三に禅定と智慧が共に作用して引き起こされる。禅定と智慧が共に引き起こす苦楽を離れた捨受は、苦にも偏らず楽にも偏らず、かつ比較的持続的で堅固である。
もし禅定を失えば、捨受は偏りを生じ、時に苦に偏り、時に楽に偏り、縁に従って変化する。しかし畢竟智慧が支えとなっているため、偏りや変化はまだ大きくはなく、時と場所に応じて調整することができる。この智慧は真実の智慧、実証後の智慧を要し、意識が理解するような智慧ではない。意識が理解する智慧は元来禅定の依り所や支えを有していないため、その作用は大きくない。
仏菩薩が娑婆世界のような世間に応現する際、仏は無上智を具え、心は常に禅定の中にあるため、永遠に無受であり、一切の受を受けず、したがって一切の苦楽受および不苦不楽受をも受けない。例えば釈迦仏の一族が琉璃王に滅ぼされ、親族がほとんど残らなかった時も、仏は坦然として平常と変わらなかった。これは因果の法則を明らかに見通す大智慧があり、これが避けられない因果であることを知り、また親族が幻化無常であり、永遠に親族であるわけではなく、実体としての親族が存在しないことを知っているためである。さらに仏の禅定力によって、これらの所謂不幸を坦然と受け止めることができる。
しかし阿難はそうではなかった。阿難はこの事態に直面し、心は暗く沈み、苦悩に満ちた。阿難もまた再来の菩薩であるが、苦悩は示現であった可能性もある。示現という要素を除いて言えば、阿難が苦悩した原因は、第一に未だ情執が残り、親情に執着していたこと、第二に衆生世界の幻化無常を見破れなかったこと、第三に因果の連鎖を見透かせなかったこと、第四に阿難が初禅定しか持たず、しかもそれは釈迦仏の加持による結果であり、初禅定が常に現前せず、心が常に禅定の中に安住していなかったことによる。これらの要因が阿難の心境を仏陀と全く異なるものとし、苦受を捨て去って泰然自たる境地に入ることを妨げた。
四地以上の菩薩は四禅八定を円満に具備し、心は常に三昧の中にあり、永遠に不苦不楽の捨受であるが、七地菩薩まではなお無余涅槃に入る傾向を有する。なぜ無余涅槃に入る傾向があるのか。それは未だ心が世間を喜ばず、その捨受が不徹底で、なお執念が残っているためである。八地以上の菩薩は心が更に空しく、法執が極めて微細で、情執は断尽し、宿世の業障がほぼ消滅し、智慧と慈悲心が更に深く鋭利となるため、心は永遠に不苦不楽受と相応し、比較的徹底的で究極的である。
初地以前の菩薩は煩悩を断じておらず、煩悩あるが故に苦楽受があり、時に不苦不楽受もある。初地から四地の菩薩は煩悩を断じているが、煩悩の習気が未だ存在し、比較的重く、習気が現れる時には苦楽受が生じ、不苦不楽受の状態が多い時もあり、心が平静な時が多い。この時期、菩薩には大小の業障が現前し、禅定が弱まると苦楽受が生じるが、禅定が常に深ければ心は平静を保つ。周囲の環境が不満足であってもである。
要するに、菩薩がどの受の中にあるか、あるいは無受の中にあるかは、定慧三昧の力、業障の深浅、執念の有無と深浅、その他の要因によるのである。
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