修行において自己を放逸すれば、日常の瑣事に迷い、道業が前進できず、場合によっては後退さえするかもしれない。常に自己を把握し、自己を省み、反省し、反思することができれば、心に隙がなくなり、煩悩が入り込む余地はなく、禅定と智慧が次第に生じてくる。道業が前進していないなら、必ず問題がある。問題がずっとそこにあるのに、自分では気づけないのは、何を意味するのか。問題に気づきながら解決したくないのは、何を意味するのか。解決しようとしても解決できないのは、何を意味するのか。世事は人を沈淪させやすく、そこから脱却するのは最も困難である。心力が不足しているとは、いったい何が欠けているのか。
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