衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年06月10日    水曜日     第1開示 合計2390開示

独影境は種子を有するか

小脳萎縮の人に現れる幻視・幻聴は、無質独影境に属し、根本的に存在しない人を、その人は見ることができるのに、他の人には見えない。根本的に存在しない声を、その人は聞くことができるのに、他の人には聞こえない。その人が接触する色や声は、すべて無から有を生じたものであり、空穴来風である。もし小脳萎縮の人が、はっきりと甲を見ておきながら、それを乙と見なしたならば、乙は有質独影境であり、甲の質をある程度帯びていて、甲を離れずに乙があり、甲を離れれば乙はない。

このような独影境には種子があるのか。小脳萎縮は業報であり、業種があって、業種が成熟すると、小脳萎縮という果報が現れる。これも苦悩であり、精神が苦しめられるだけでなく、身体も苦しめられる。幻覚を見ている時間が長くなると、非常に疲労し、鎮静剤などの薬物を使ってコントロールすることになる。では、独影境は脳細胞・脳エネルギーを消耗する必要がある。独影境の法塵は、如来蔵が心体から四大種子を出力して形成するものではないが、一定の脳神経細胞の中の四大微粒子を必要とする。勝義根を持たない衆生には、小脳萎縮という現象は現れず、脳細胞・脳エネルギーを消耗する必要もない。

意根は業種と相応し、業報と相応する。業報が現れるとき、意根は病的な状態となり、とりとめなく思い乱れる。如来蔵はそれに随って縁に随い業を現し、意根が乱れ思い描いた境界を幻化する。独頭意識がそれを見て、真実だと思い込み、そこで他人の目には、狂気じみて正常でないように映る。

一方、有質独影境は、如来蔵が既存の塵境に基づき、一部の四大を取って別の独影境を幻化したもので、既存の境界とは無関係であるかのように見える。意識がそれを認め取って真実だと見なすと、他人の目には狂気じみて映る。病の根は意根にあり、前世の業行にあり、今世に感得した果報であり、虚幻で虚偽である。

凡夫の正常人も、小脳萎縮の人や精神病患者と大差はない。見る一切の法も、いずれも真でなく実でもなく、業力の感得による無から有を生じたものであり、空穴来風のようである。真の法は見えず、しかも真の法の上に、虚妄な帯質境・独影境・性境を妄見している。これらの境界はすべて如来蔵の質、如来蔵の真、如来蔵の本を帯びているのに、それを知らず、ただ仮を見、幻を見て、実は颠倒痴狂なのである。

病の根は意根にあり、無明業力の招感である。業が消えて病が退くとき、見るものが元に戻れば、真を見、実を見ることになり、仮相は消え、幻相は退き、病がなければ自然に清涼である。

病者でない者は誰か。病んでいない者が出てきて見よ。

パン!一撃、平手打ちを下せば、病は退き障りは消え、本来に回帰する。昔のままの姿!

——生如法師の開示
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坐禅三昧経講解(一六二)

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