衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年09月23日    月曜日     第1開示 合計1928開示

仏法修証の関鍵部分は戒定慧の三無漏学です

仏法の修証の肝要な部分について、仏は繰り返し繰り返し私たちに説かれましたが、それは戒定慧の三無漏学です。戒学においては必ず厳格に戒律を持ち、その後にこそ心が定まり、心が定まった後にこそ観行 (vipaśyanā-caryā) の智慧が生まれ、観行が成熟すれば般若 (prajñā) の大智慧が生じます。般若の大智慧は非常に重要であり、解脱へと導いてくれます。そして般若の智慧の生起は深く細やかな観行の智慧に依拠し、観行の智慧の獲得は禅定に頼り、禅定の生起は戒律に依存します。戒定慧の三学は一環また一環と連なり、いずれも重要であり、どの環節も緊密に結びついていて、どれ一つ欠くこともできず、省略したり捨て去ったりしてはなりません。さもなければ実証はあり得ません。

禅定を修めて得た後は、それを観行の智慧へと転化することを学ばねばなりません。心念を巧みに転換するのです。さもなければ禅定は永遠に禅定のままであり、外道の定と何ら変わりはなく、般若の智慧は生まれず、無我を証得することもできず、解脱して自在を得ることもできません。静坐に興味を持たない人は少なくありませんが、その原因は心があまりに散乱していて座っていられないことにあり、そこでやむなく動中の定に頼らざるを得ないのです。しかし静の中の心さえ把握しにくいのに、動の中の心はなおさら把握しがたいものです。たとえ動中の定がよく修まったとしても、その定は静中の定より浅く、心は粗く、思惟は細密さを欠き、観行の智慧も粗浅で、真に実証することはできません。それゆえ静中の定は基礎であると同時に最後の帰依処でもあり、大智慧は必ず静中の定から生まれなければなりません。歴代の祖師や諸仏菩薩はみなそうでした。

静中の定がよく修まれば、思惟は敏鋭かつ深細になり、行住坐臥のいずれにおいても心は常に定にあり、煩悩を降伏でき、心境は軽やかで愉快になり、心念は自然と善念が多くなります。それゆえ静中の定は非常に重要であり、これは十方の諸仏菩薩や祖師大徳が伝え残してきた法宝です。必ず大切にしてよく修持しなければなりません。

——生如法師の開示
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