衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常法話

2026年09月07日    月曜日     第1開示 合計4831開示

五別境心所法の概念

仏地の八つの識はすべて二十一心所法を有し、しかもすべて無我性です。欲心所とは達成すべき目標を持つことであり、この目標は必ずしも有我性であるとは限らず、無我性の面もあります。聖者の欲心所法は無我であり、私心私欲がなく、善欲であって、衆生のため、仏教のために種々の思いを生じさせ、いくつかの目標を実現しようとするものです。我性は見惑と思惑に現れ、無明に現れます。無明が断じ尽くされれば、七識は徹底的に無我となります。

勝解心所法とは、対応する法に対して、一種の理解、意解、明瞭な把握という意味です。明瞭に把握してこそ、初めて抉択と決定ができ、造作ができるのです。念心所法とは、心の中に思いがあり、心思があることです。経験した法を念じるにせよ、知りたいと思う法を念じるにせよ、すべて念であり、参禅参究の念頭、法を思惟する念頭も含まれ、それによって初めて思いと心思を実現できるのです。定心所法には、一つには法に対して決定心を持ち、その法の上に揺るぎなく堅定であるという意味があり、もう一つはある法の上に定まって動かず、専心して了別し造作するという意味があります。慧心所とは、智慧的な造作、智慧的な了別、智慧的な抉択、智慧的な専注などであり、一切の識心の活動はすべて智慧的なのです。

<h2 style="text-indent: 2em;">心王、心所はそれぞれその運行の行相を有する</h2>

心王の運行の行相は識種子の流注と運行に現れ、心所の運行の行相は法に対する了別、識別、造作の過程に現れます。例えば五遍行心所法と五別境心所法などであり、また心行にも現れます。例えば善心所法、悪心所法、そして善でも悪でもない心所法などです。これらの心所法は識種子から持ち込まれたものではなく、識種子と一体のものではなく、それぞれに運行の行相を有しますが、それらは完璧に融合し合い、天衣無縫のほどに協調しています。実は心王の運行の行相とは心所法の運行であり、両者は緊密に結びついており、分けることができません。

心所法の中で、五遍行心所法と五別境心所法の運行は、識種子の運行と流注と区別しにくいものですが、心所法は識種子の流注より観察しやすいものです。識種子の流注を観察するには、極めて深い禅定と唯識種智の智慧が必要です。心所法は絶えず変動しており、増加や減少ができるだけでなく、さらに完全なものになることもできます。識種子の運行は時に集中し、時に分散し、識種子が数か所に分散すれば、心所法も数か所で運行します。したがって、心所法は識種子の流注に随って運行するのであり、単独では運行できません。

例えば五別境心所法の中の定心所来说、心王が定まることができ、禅定が現れると、この定は強化できると同時に、減弱したり消失したりもできます。定心所は絶えず変化しており、識種子が集中するほど、定心所法は強くなります。これらの心所法は業種と一定の関係があり、前世の身口意行の種子と結びついているため、心所法には前世と後世の間に一定の連続性があります。例えば前世で禅定を修めた人は、今世で少し禅定を修めただけでも、定心所が現れやすいのです。

また例えば勝解心所、念心所、欲心所は、どの心所法も変異を生じさせます。心所法は固定したものではなく、増加もできれば減少もでき、さらに変異を生じさせることもでき、これも業種業力と関係がありますが、しかし単独の業種はありません。例えば慧心所は、間違いなく環境の薫習に随って絶えず増加または減少する、絶えず変異するものです。しかし心王の識種子は変異しないものであり、識種そのものは永遠にそのように清浄であり、ただ種子の流注に集中と分散の区別があるだけで、種子が集中している時は定力が良く、了別の勢力が大きく、了別の慧が深いのです。

——生如法師の開示
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実証の時に意根の慧が先に出生する

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五遍行心所法の真実の意味

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