衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月12日    火曜日     第4開示 合計1336開示

ブラックボックス世界(四十九)

仏には五眼六通があり、仏は六塵を了別し、六識を用いずに内相分を了別することが完全に可能で、勝義根を用いる必要もない。仏の単独の無垢識だけで、前七識に完全に取って代わり、一切の法を了別することができる。たとえ仏の前五識であっても、単独で一切の法を了別することができる。なぜなら仏の八識にはすべて二十一の心所法があり、五遍行:作意・触・受・想・思;五別境:欲・勝解・念・定・慧;善十一:信・慚・愧・無貪・無瞋・無痴・精進・軽安・不放逸・行捨・不害があるからである。したがって仏の無垢識は妙観察智と同じく、欲・勝解・念・定・慧を有し、六塵の境界を了別し観察することができ、前五識と第七識も同様である。ゆえに仏の八識はすべて円満な智慧徳能を具足しているのである。

人を睨みつける、悪意の眼差しで見る、細めた目で見る、軽蔑して見下す、これらはすべて眼識の不善なる心所である。しかし仏地に至れば、仏の前五識もまたすべて善であり、しかも前五識にも慧があり、一切の法、これらの境界を了別することができる。これらの境界は、私たちには想像もつかない。仏が直接に外相分を了別できるのであれば、仏の外相分は必ずや殊勝で完全なものであるはずだが、同時に衆生の心に基づいて、衆生の殊勝でない不完全な境界を了別することもできる。仏にとっては、不完全なものなどそもそも存在しない。したがって娑婆世界は釈迦仏にとっては非常に殊勝な仏国土であり、心が染汚されている衆生が見る世界とはまったく異なる。それゆえに維摩詰経のあの一節があるのである。

——生如法師の開示
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