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日常法話

2025年12月02日    火曜日     第1開示 合計4540開示

金剛経講義・なぜ菩薩は相に住することなく施しを行う功徳は計り知れないと言われるのか

ここでの「相」とは境界相、すなわち色・声・香・味・触・法の六塵の境界相を指します。菩薩が布施を行う際、色・声・香・味・触・法の相に住することなく、これらの相に執着せず、それらの相を除去し、布施の際には三輪清浄の境地に至ります。布施を受ける者の男女や年齢、貴賤貧富、権勢地位を区別せず、容貌を分別せず、怨みか親しいかも分別せず、平等に施します。また、布施が誰から自分に必要な利益をもたらすかを計算したり思い巡らせたりせず、色・声・香・味・触・法や財・色・名誉・食・睡眠といった境界相の見返りを求めず、ましてや施す物品の価値の貴賤を考慮せず、必要とする者がいれば無条件で布施し、計算や分別をしません。

一切の相を捨て去り、一切の相に執着せず、三輪清浄の布施を行うことができる者は、心の度量が広大です。心が空となった者はすでに凡人ではなく、真の意味での大心の菩薩であり、甚深なる空相の智慧を備えた大福徳の人です。大布施の後、智慧と福徳はさらに一層増進し、空慧の福は数量による制限を受けず、得られる福徳は無量無辺、不可思議となります。心の度量がどれほど大きいかによって、得られる福徳もそれに比例して大きくなり、福徳と心の度量は相俟って成り立ちます。一方、相に執着した布施を行う者は、心が相によって拘束され、心の度量が小さく、得られる福徳も少ないのです。器が小さければどうして多くの物や大きな物を盛ることができるでしょうか。福は器に随って至り、大器には大福、小器には小福が伴うのは必然です。ゆえに菩薩は相に住さずに布施を行い、器量が大きく心は虚空の如く、得られる福徳も虚空の如く無量無辺、不可思量なのです。

原文:須菩提よ、どう思うか。東方の虚空は思量し得るか。いいえ、世尊よ。須菩提よ、南方・西方・北方、四維(しゆい)上下の虚空は思量し得るか。いいえ、世尊よ。須菩提よ、菩薩が相に住さず布施する福徳もまたこの如し。思量すべからず。須菩提よ、菩薩はただ教えの如くに住すべし。

釈:世尊が問う:須菩提よ、お前はどう思うか。東方の虚空はその大きさを思量し得るか。須菩提が答える:その大きさを思量することはできません、世尊よ。世尊が再び問う:須菩提よ、南方・西方・北方の虚空、四維上下の虚空は思量し得るか。須菩提が言う:思量することはできません、世尊よ。世尊が言う:須菩提よ、菩薩が相に住さない布施の福徳もまたこのように不可思量である。須菩提よ、菩薩はただ仏の教えに従って心を安住させるがよい。

虚空中の任意の一点を中心として外へ拡がる十方の方向は、いずれも尽きることなく、際限なく、涯岸なく、不可思量に広大で、誰もその果てに至ることはできません。もし虚空に境界線があるならば、その向こうは何でしょうか。無と言うならそれが虚空であり、有と言うなら全ては虚空の中にあります。虚空は真実の有る法ではなく、仮の法であり、色に対する相対的な概念です。物質のない所が虚空であり、物質があればそれは虚空ではありません。物質と虚空は対立する法であり、これがあればあれはなく、また互いに共存する法とも言えます。虚空は物質(色法)を包容でき、物質(色法)の中にも空間の隙間があるのです。

例えば一つの箱をある場所に置くと、その場所は元々何もなく空でしたが、箱を置けば空ではなくなります。では元の空はどこへ行き、どこに空が増えたのでしょうか。人々が地面に井戸を掘り土を掘り出すと、その場所に一尺四方の虚空が現れます。この空はどこから来たのでしょうか。来るところはありません。土を元の場所に戻せば空はなくなります。空はどこへ行ったのでしょうか。行くところはありません。実際には虚空は如来蔵から来て、その後また如来蔵に滅するのです。

虚空には際限がないため、十方世界は全て虚空中に建立できます。一尊の仏が成仏するたびに、虚空中に仏国土を建立します。一つの三千大千世界です。全ての衆生が成仏し、虚空中に無量の世界を建立しても、全てを容れることができます。このような虚空を思量できるでしょうか。誰が思量できるでしょうか。なぜ菩薩が相に住さず布施する福徳が不可思量なのでしょうか。相に住しないため、心に執着がなく、解脱を得て生死を超越し三界を出るからです。しかし菩薩は三界を出ず、無余涅槃に入らず、世々に三界の中で自利利他を続け、成仏に至るのです。

成仏した者の福徳を思量できるでしょうか。単に八地菩薩の福徳だけを言えば、一念の間に作意や加行なしに一つの三千大千世界を変現し、無数の珠玉、無数の魚・米・肉の山を現出し、無数の衆生を救済できます。手に地球の衆生を載せて他の星へ送っても、衆生は気づきません。菩薩が口を開いて四大海を飲み込んでも、海中の衆生は気づかず、菩薩が一尊の仏に変じると言えば変じ、しかも無数の分身を現して広く縁ある者を度脱します。ましてや仏の福徳はさらに広大無辺であり、相に住さない布施の福徳はこのように比類なく広大なのです。私たちは心の度量を大きく大きく広げ、決して小心小量で自分を拘束してはなりません。菩薩たちはこのように住すべきであり、無所住の上に住し、一切の法に執着せず、少しでも住するところがあれば成仏できません。菩薩たちはこのように世尊の教えに従い、このように布施を行じるべきです。


——生如法師の開示
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金剛経講義・妙行無住分第四

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