ここでいう相とは境界相のことであり、色声香味触法の六塵の境界相のことです。菩薩は布施 (dāna) をするとき、色声香味触法の相に住せず、また色声香味触法の相に執着せず、これらの相を取り除き、布施のとき三輪体空となります。被布施者の性別や年齢、尊卑貧富、権勢や地位を分別せず、また相貌を分別せず、怨みか親かを分別せず、平等に施し与えます。また、布施が自分に必要な利益をもたらしてくれるかどうかを計算したり念頭に置いたりせず、色声香味触法、財色名食睡といった境界相の見返りを求めず、まして布施する物品の価値の貴賤を考慮することもなく、必要とする者がさえいれば、無条件に布施し、計らい分別をいたしません。
一切の相を捨て、一切の相に執着せず、三輪体空の布施ができる人は、心量が広大であり、心が空になった人はもはや普通の人ではなく、それは真の意味での大心の菩薩であり、甚深な空相の智慧を具え、大福德の人なのです。大布施の後、智慧と福德はさらに一層増進し、空慧の福は数量の制限を受けず、得られる福德は無量無辺で、思議すべからざるものとなります。心量がどれほど大きいか、得られる福德もそれだけ多く、福德と心量は正比例し、相輔相成します。一方、相に執着して布施する人は、心が相に拘束されて妨げられ、心量が小さければ、得られる福德も少なくなります。器が小さくてどうして多くの物や大きな物を盛ることができましょうか。福は器に随い、大器は大福、小器は小福、これは必然のことです。それゆえ菩薩は相に住せず布施するのであり、器量が大きく、心は虚空のようであって、得られる福德は虚空のように無量無辺で、思量することができません。
原文:须菩提。于意如何。东方虚空可思量否。不也。世尊。须菩提。南西北方。四维上下虚空可思量否。不也。世尊。须菩提。菩萨不住相布施。福德也复如是。不可思量。须菩提。菩萨但应如所教住。
解釈:世尊が問う。須菩提よ、あなたはどう思うか。東方の虚空は思量して測ることができるか。須菩提が答える。思量して測ることはできません、世尊。世尊がまた問う。須菩提よ、南方、西方、北方の虚空、四維上下の虚空は思量できるか。須菩提が言う。思量することはできません、世尊。世尊が言う。須菩提よ、菩薩が相に住せず布施するなら、その福德もまたこのように思量することができない。須菩提よ、菩薩はただ仏が教え導いた通りにその心を安住させるべきである。
虚空の中では任意の一点を中心として、外へ拡張していけば十の方向があり、どの方向も尽きることなく、際限もなく、涯も岸もなく、思量できないほど広大で、誰もその果てにたどり着くことはできません。もし虚空に境界線があるならば、その向こう側には何があるのでしょうか。無と言えばそれが虚空であり、有と言ってもすべて虚空の中にあります。虚空は真実有る法ではなく、仮の法であり、色に相対して言えば、物質のない処所が虚空であり、物質があればそれは虚空ではありません。物質と虚空は相対立する法であり、これがあれば彼がなく、互いに存在し合う法とも言えます。虚空は物質である色法を包容することができ、物質である色法の中にも空間の空隙があります。
たとえば一つの箱をある場所に置くと、その場所はもともと何もなく空であったのに、箱を置けば空ではなくなります。では元の空はどこへ行ったのでしょうか。どこに空が一つ増えたのでしょうか。人々が地面に井戸を掘って土を掘り出すと、一尺四方の土を掘り出せば、その場所に一尺四方の虚空が現れます。この空はどこから来たのでしょうか。来たところはありません。土をまた元のところに埋め戻せば、空はなくなります。空はどこへ行ったのでしょうか。行くところはありません。実際には、虚空は如来蔵 (tathāgatagarbha) から来たのであり、その後また滅して如来蔵に戻るのです。
虚空には際限がないので、十方世界はすべて虚空の中に建立することができ、どの仏も成仏のとき、虚空の中に仏国土を建立します。一つの三千大千世界のすべての衆生が成仏し、虚空の中に無量の世界を建立しても、すべて受け止めきることができます。このような虚空を思量することができるでしょうか。誰が思量できるでしょうか。なぜ菩薩が相に住せず布施する福德は思量できないのでしょうか。相に住せず、心に執着するところがなければ、解脱を得て、生死を了して三界を出るからです。しかし菩薩は三界を出ず、無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) に入らず、世世に三界の中で自利利他を行い、成仏に至るまで続けます。
成仏した福德を思量することができるでしょうか。八地菩薩の福德だけを言っても、一念の間に作意加行を用いることなく、一つの三千大千世界を変化して現出させ、珠宝は無数、魚米肉山も無数、救い度する衆生も無数です。手に地球の衆生を托して他の星球へ送り届けても、衆生は知らず、菩薩は口を開いて四大海を口の中に呑み込んでも、海中の衆生は知らず覚えず、菩薩は一尊の仏を変化せよと言えば変化し、しかも分身は無数で、広く有縁を度します。まして仏の福德はなおさら広大無辺であり、相に住せず布施する福德はこのように広大無比なのです。私たちは心量を大きく、さらに大きく広げなければなりません。決して小心小量で自分を拘束してはなりません。菩薩たちはこのように住すべきであり、住するところ無きところに住し、一切の法を執着せず、一たび住するところがあれば成仏することはできません。菩薩たちはこのように世尊の教えに従い、このように布施を行うべきです。
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