衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2025年05月02日    金曜日     第1 回の開示 合計4379回の開示

貪淫滅除の観行妙法(意根訓練篇)

楞厳経第五巻原文:(烏芻瑟摩)我は常に先ず憶う。久遠劫の昔、性は貪欲多くしき。仏の出世したまう有り、名を空王と曰う。多淫の人は猛火の聚を成すと説きたまい、我に遍く観ぜしめ、百骸四肢の諸の冷暖の気を、神光内に凝らしめ、多淫の心を化して智慧の火と成さしむ。是より諸仏は皆我を呼び召し、名付けて火頭と為す。我は火光の三昧の力の故に、阿羅漢を成ず。心に大願を発し、諸仏の成道するに、我は力士として魔怨を親伏せん。仏、円通を問いたまうに、我は諦観を以てし、身心の暖触、無礙に流通し、諸漏既に銷え、大宝焰を生じ、無上覚に登る。斯れ第一と為す。

釈:烏芻瑟摩は久遠劫の昔、貪欲の心重くしていたことを回想する。空王仏は「心性に淫多い者は、淫欲多きが故に、日々猛火の集う部落の如くに在り、自らの身心を燃やし、絶えず身心の焦がるるを感じ、安寧を得ず」と説きたまう。この焦燥を脱するため、仏は烏芻瑟摩に貪淫を対治する妙法を授けたまう。即ち日々自らの全身の百骸四肢の中の冷気と暖気を、頭から足まで、足から頭まで遍く観じ行うのである。

これは火大より観行に入る法である。火大が色身に現れる相は体温、冷熱にして、全身上下内外に遍く、即ち百有余の骸骨と四肢の中に存在する。仏は烏芻瑟摩に全身の冷暖を観じ行わしめたまう。観行を続けるうち、烏芻瑟摩の身心に大変化が現れた:神光内に凝り、多淫の心を化し、智慧の火と成す。神光とは何か。即ち精神の輝き、精力、注意力、心力、主に意根の精神的エネルギーを指す。六識の注意力が外へ散じないのみならず、最も重要なのは意根の精力が外へ漏れ淫欲に流されず、内に凝集し、全身の冷暖气を観ることに用いられた。本来泄れ出んとする精力とエネルギーは内に転化し、観察力と智慧力と化し、智慧の光を生じ、心火は慧光と成した。

仏教の方法は淫心を無理に抑えつけるのでなく、巧みに転化転移させる。同じ精力と情熱を別の場所へ移し、智慧を開くこと、解脱に用いること。これがいかに巧妙であるか。抑圧は苦悩と葛藤を招き、賭博や麻薬を断つが如く耐え難い。転化は火を元に帰らせ、別の所で用いる。充分に活用した後、火光三昧が生じ、身心ともに勃勃たる生気を発し、煩悩漏尽し、清涼寂滅し、心は大自在を得て阿羅漢と成る。烏芻瑟摩の修した円通法門は:一心に身体の百骸四肢の一切の冷暖の触れを観じ行い、身体中の火大が妨げなく全身を流通運行し、再び淫欲に阻まれることなく、淫欲の中に滞留することなく、ここに一切の煩悩を滅し、三界世間を解脱する大智慧を生じ、無上覚の道に登るのである。

地水火風空の四大より観入するもまた同じく観じ、皆身触の根塵の処を観る。貪淫は火大に帰し、広く貪欲は水大に帰す。身内の水界と身外の水界が等しく差別なきを観じ、皆空に帰することを観て、貪欲を滅除し煩悩漏尽す。瞋恚もまた火大に帰す。同じく心火の空に帰するを観じ、瞋恚を滅除し解脱を得る。五蘊中のいずれの一法も観行の所縁と為し得、皆道に入り、皆煩悩漏を滅除し、皆涅槃を得て解脱するのである。

——生如法師の開示
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