如来蔵 (tathāgatagarbha) の体性には非常に深い内容があり、繰り返し薫修して初めていくらか理解できるようになります。さらに多くの法は、如来蔵を証得してからでなければ、ゆっくりと理解し、ゆっくりと観行 (vipaśyanā-caryā) で観じていくことしかできません。しかし仏法の証得は、禅定の中で思惟 (manasikāra/manana) し観行してこそ、真に証得できるものであり、さもなければせいぜい理解できるだけで、理解したものは結局信頼できないものです。禅定と観行は非常に重要です。禅定がなければ、多くの法を思惟観行によって観じ出すことができず、今後講じる深法も理解できず、次第に集団から取り残されてしまうでしょう。
皆さんは時間があれば、誰もが禅定を修めるべきです。禅定がなければ、仏法を証得することはできません。理解したものは結局知識の次元に属するものであり、生死に抗うことはできません。また、より深い法は、禅定がなければそもそも理解することすらできません。学仏の道において、禅定がなければ仏法を観行できず、如来蔵を証得することもできません。たとえ無理やり明心したとしても、その後のさまざまな観行も行うことができず、そうなると各果位の修行内容を円満に成就することができず、その後の修行の道は歩めなくなってしまいます。あるいは歩むことが非常に遅くなってしまいます。だからこそ、皆さんは必ず精進して定を修めなければなりません。
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