如来蔵を証得するためには、まず前七識を見極め、如来蔵と混同しないよう前七識を取り除く必要があります。まず意識心の体性と、諸法における意識心の運行の様相を理解し、あらゆる状況下で現れる意識を全て把握することで、意識心を完全に証得できます。前五識の体性も明確にし、一つずつ見極めなければなりません。次に意根の体性を理解します。刻々と決定を下し主宰する心が意根であり、物事における選択を行う心が意根です。注意深く観察すれば、意根を発見することができるでしょう。
最後に残るのが如来蔵であり、これを見出した時に明心して悟りを開きます。八識を分類し、各識の役割、どの識が生滅性でどの識が不生滅かを明らかにすれば、各識の体性と機能を理解し、仏法に対する迷いが晴れるのです。八つの識は全て自ら探求し観察しなければなりません。
仏道修行において修めるべきは妄心である七識であり、真如の心である如来蔵は修める対象ではありません。しかし如来蔵を見出しその働きを観察し、その運行を理解することが明心です。明心後は観察の智慧が深まり、智慧が極限まで増長すれば仏陀となります。無量劫の生死輪廻で積んだ無明は厚く、これを成し遂げるのは容易ではありません。しかし行わなければ生死流転の苦しみは尽きず、解脱の期は訪れません。難解な仏法に耐え、困難を乗り越え漸く成就し、遂に無上菩提を証得するのです。
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