心は惑業の主であり、心は輪廻の主であり、心は生死の主であり、心は一切法の根である。心の問題を解決してこそ、一切の問題を解決できる。仏陀が十二因縁の法において説かれたように、生死輪廻の根源は心の無明にある。意根の無明があるがゆえに五陰世間の苦が生じ、修行とはまさに意根の無明と染汚を断じることにほかならない。染汚が除かれ無明が尽きてこそ、生死の苦は滅尽する。故に修行とは心を修め、心を認識し心を改造することであり、これ以外に道はない。
もし心を改造することが修行の目的でないなら、何のために修行するのか。修行の目的がはっきりしないなら、どうして修行を語ることができようか。生死の因がどこから来るのか分からなければ、どうして生死の煩悩賊を捕らえて解脱を得られようか。
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