小脳萎縮の者が現れる幻視や幻聴は、無質独影境に属する。本来存在しない人を彼は見ることができるが、他の人には見えない。存在しない音を彼は聞くことができるが、他の人には聞こえない。彼が接触する色声は全て無から生じたもので、根拠のないものである。もし小脳萎縮の者が明らかに甲を見ているのに乙と錯覚する場合、乙は有質独影境であり、一定の甲の質を帯びており、甲を離れずして乙が存在し、甲を離れれば乙は存在しない。
このような独影境に種子はあるか。小脳萎縮は業報であり、業種が存在する。業種が成熟すると、小脳萎縮の果報が現れる。これは苦悩であり、精神が苦しめられるだけでなく、身体も苦しめられる。幻想が長く続くと非常に疲労し、鎮静剤などの薬物で制御することになる。独影境は脳細胞と脳エネルギーを消耗する必要がある。独影境の法塵は如来蔵が心体から四大種子を出力して形成する必要はないが、一定の脳神経細胞中の四大微粒子を必要とする。勝義根を持たない衆生には小脳萎縮の現象は現れず、脳細胞と脳エネルギーを消耗する必要がない。
意根は業種と相応し、業報と相応する。業報が現れる時、意根は病的状態にあり、妄想的思考を起こす。如来蔵は縁に随って業を現じ、意根が乱想した境界を幻化する。独頭意識がこれを見て真実と錯覚するため、他人から見れば狂気じみて正常ではない。
有質独影境は、如来蔵が現存する塵境に基づき、一部の四大を取って別の独影境を幻化するもので、現存する境界と無関係のように見える。意識がこれを認知して真実と錯覚すると、他人から見れば狂気じみたものとなる。病根は意根にあり、前世の業行にあり、今世に感得した果報は虚妄で偽りである。
凡夫の正常人と小脳萎縮者や精神障害者は大差ない。見る一切の法も真実ではなく、業力によって感得され、無から生じたもので、根拠のない風のようである。真法を見ず、却って真法の上に妄見の虚妄な带質境・独影境・性境を見る。これらの境界は皆如来蔵の質・真実・本質を帯びているが、それを知らず、ただ仮象と幻を見て、実は顛倒した痴狂である。
病根は意根にあり、無明の業力が招感する。業が消え病が退く時、見えるものが本来に還れば、真実を見るようになり、仮相は消え幻相は退き、病なき自然の清涼を得る。
誰が病人でないのか? 病まぬ者が現れよ。
パン!と一掌を打ち下ろせば、病退き障り消え、本来に回帰する。いつもの姿よ!
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