衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年06月09日    火曜日     第4開示 合計2388開示

独影境の類別実質

独頭意識 (mano-vijñāna-eka-citta) に対応する独影境は、無質独影と有質独影に分けられる。無質独影とは、意識が妄想して作り出した境界であり、その実体はまったくなく、現実にも目の前にも存在せず、空花や兎角のごとく、四大の種子を少しも帯びていない。受ける制約が非常に少ないので、ある人々は非常に好んで空中に妄想を巡らせ、とりとめのない空想にふけり、精神の拠り所を得て、精神的な疲労を緩和し、退屈や混濁に陥らないようにする。過去を思い出したり未来を空想したりするのは、海闊天空で、際限も要領もない。このように空想して作り出された独影境は、四大の種子を消耗する必要がなく、定力 (samādhi) も必ずしも要らず、脳への影響も比較的小さいため、現起することが比較的多く、さしたる制約力もない。

有質独影とは、意識が単独で分別する、五塵と何らかの関わりのある境界であり、わずかに五塵上の四大の質を帯びている。意識は五塵境を基礎として想像を働かせたり、あるいは誤って解したりする。たとえば縄を見て蛇と見なす場合、縄は色塵の性境であり、意識は本来、性境を基礎として縄の形態を了別し、縄の名言を出すはずである。ところが意識は誤解して、縄を蛇と判断し、蛇の形象と名前を出し、さらには声を上げて驚くほどである。蛇というのは独影境であり、五識は了別・弁別に参与せず、また蛇の形は色塵境と分かれて現れるのではない。それゆえ、これは有質独影である。

また、たとえば一輪の花を見ると、意識はその花に対して加工や想像を加え、開く前の姿を想像し、開き敷いた後の様子を想像し、あるいは大きくなったり小さくなったりすること、色彩や品種が変化することを想像し、あるいは枝葉が余分に生えることを想像し、あるいは同じ花がさらにたくさん咲いて花束になることを想像する。また、たとえば一冊の本を見ると、その本から同時に別の本を連想したり、別の表紙を連想したり、その本の別の名前を連想したりするなどである。

それゆえ、われわれが出会う境界、頭の中に現れる境界、心の中で思う考えるものに、どこに実法があろうか。どこに真実不変の性があろうか。まったくもって心の無明と退屈が、さまざまな事柄や余計な事をでっち上げ、繁雑と混乱を加え、寂止と寂静を得られないようにしているのである。衆生は無明のゆえに、寂静の楽を知らず、事が無いのに事を探し、事が無いのに非を生じ、止まること尽きることがなく、愚痴のきわみである。

——生如法師の開示
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人に依りて法に依らざるがゆえにこそ争議が生じる

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坐禅三昧経講解(一六二)

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