衆生無辺誓い度す煩悩無尽誓い断つ法門無量誓い学ぶ仏道無上誓い成す
初禅定前の意識心は覚あり観あり、初禅から二禅定之间は無覚有観、二禅定以上は無覚無観。覚とは境界を覚知するという意味であり、思惟という心理活動があります。観は照に相当する意味であり、意識の思惟分析活動がなく、意識心は動かないが、被动の知仍有り。二禅以上では五識は滅びましたが、意識は滅びません。非常に微細な知がありますが、反観能力がなく、自身が知があることを知らず、すべて滅びたかのようです。
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『楞厳経』における五十陰魔の境界
諸法如幻