仏は阿難に言われた。「汝はまだ悟っていない。一切の浮き塵のような幻化の相は、当処に出生し、随処に滅尽する。幻妄を相と称するが、その本性は真実の妙覚明体である」
この「処」とは一切の妄法の出生処である如来蔵を指す。別処にあるのではなく、また別処も存在しない。如来蔵の外に法はない。それでは如来蔵は業種に依って縁に従い、七大種子を出力し、五陰世間を出生する。縁が尽きれば妄法は滅するが、依然として如来蔵の中で滅するのであって、別処にあるのではない。諸法は生じても生じず、滅しても滅さない。七大種子が出力されても、実は出力されたのではなく、如来蔵の外に出たわけではない。特に第七識の識種子を出力するとは、いったいどこへ出力するのか。第七識の推動がなければ五陰世間は存在せず、第七識は妄法の中で第一の存在である。これを除けば他のいかなる妄法もない。第七識はどこに存在し、滅する時はどこへ滅するのか。すべて如来蔵の中にあり、如来蔵の処にある。他の幻法妄法もまた同様である。
このことを思うと非常に興味深く、さらに意義深い。世間には元来法もなければ世間もない。何も存在しないのである。もし法を見れば即ち如来蔵を見、もし見るものがあればそれは如来蔵の見である。他に何があろうか。如来蔵を除いては。真実真実、一切法はことごとく得る所なく、不可得、絶対に不可得である。
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