衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年11月12日    火曜日     第2 回の開示 合計2027回の開示

法無我の真実義

法無我は、地上の菩薩が証得する唯識の甚深なる智慧の境界である。五蘊に周遍する一切の法に対し、次第に一部の法は我ならず、我性無きことを証得し、大部分の法は我ならず、我性無きことを証得し、遂には全ての法が我ならず、我性無きことを証得して究竟の仏果を成就する。衆生は一切の法に一定の真実の属性があると認めるため、心に執着を生じ、法執を有するのである。地後の菩薩は甚深なる唯識種智を具え、現前に一部の法、大部分の法が如何にして第八識より出生し執持されるかを観察できるため、三界世間の一部あるいは大部分の法を真実の自性有るものと見做さず、こうして一部の法無我と大部分の法無我を証得するのである。

地前の菩薩と凡夫の衆生は、三界世間の一部および大部分の法の由来と実質を現前に観察する能力を有さないため、心にこれらの法に一定の真実性、我性があると認め、宇宙器世間を宇宙器世間そのものと見做し、器世間が全て第八識の属性であり、第八識の功能作用であり、第八識の種子より構成されることを毫も観察できぬ。故に法に我ありと認め、法我執を生ずる。衆生は自らが認知する一切の理法を真実有るものと見做し、一切の理法は理法そのものであり、これらの理法の実質が何であるかを毫も観察できず、全て第八識の属性であり、所謂自体性無きことを知らぬ。故にこれらの理法に我性あり我に属すると認め、法我執を生ずるのである。

もし衆生が現前に宇宙器世間が全て第八識の種子より構成され、第八識の属性であり、本質は第八識そのものであることを観察できれば、宇宙器世間を宇宙器世間と見做さず、宇宙器世間の上に第八識の影を見、第八識の功能作用を観て、法我見と法我執を有さなくなる。もし衆生が現前に六根六塵が第八識の種子より成り、第八識の属性であり、本質は第八識そのものであることを観察できれば、六根六塵を六根六塵と見做さず、六根六塵の上に第八識の影を見、第八識の功能作用を観て、法我見と法我執を有さなくなる。(六根六塵は一切法中の一部であり、また法である。)

もし衆生が現前に一切の規則、法則、世俗諦と聖義諦が全て第八識の種子より形成され、第八識の属性であり、本質は全て第八識であることを観察できれば、これらの規則、法則、世俗諦と聖義諦を規則、法則、世俗諦と聖義諦と見做さず、これらの法則と諦理の上に第八識の影を観察し、第八識の功能作用を観て、法我見と法我執を有さなくなる。故に地上の菩薩が証得する一切法無我とは、一切法が第八識ならざることを指すのではなく、正に一切法が全て第八識であり、一切法の自体性無く、一切法が空なること、幻化せること、真実ならざること、壊滅すべきことを指す。一切法は我ならず異ならず相在せずとは、一切法が第八識ならざること、第八識と異ならざること、第八識と相混ざらざることを言うのではなく、正に反対に、一切法の本質は全て第八識であり、一真法界中の法であり、全てが真実であることを言うのである。

——生如法師の開示
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