書籍
作品
本書は『楞厳経』の一部巻章を選録したもので、多くの弟子方の祈請に応じて解説を集録したものです。主な講義内容は七処征心・見性の四縁・別業妄見と同分妄見・五陰虚妄・六入虚妄・十二処虚妄・地水火風空見識の七大虚妄、そして地水火風の本性が円融であることなど、総字数約13万字に及びます。本書に収録された楞厳経の章節解説を真摯に研鑽し、精進修行を重ねることで、道業の資糧を具足し、因縁熟する時節が来れば自ずと明心見性が叶うでしょう。各弟子の請う内容が異なるため、全体として体系立っていませんが、楞厳経を敬愛する方々が修行の途上で早期に依拠できる指針となるよう、まずは抜粋形式で編纂いたしました。現時点では一冊にまとめたものの、今後時節を経て修行を深めた暁には、体系的な全容解説を以て未詳の部分を補完・改訂する所存でございます。どうか寛容にお待ちくださいますようお願い申し上げます。
心・意・識の三者において、心は第八識を表し、意は意根を表し、識は意識を表す。前二者は比較的深微で隠密なため、証得し観察することが極めて困難であり、一般の人は意識のみを観察でき、なお詳細ではなく、意根と第八識を観察することはできない。意根のすべての内容は唯識種智の範疇に属し、すべての唯識に関する内容もまた唯識種智の範疇に属し、各識の心所法はなおさらである。現在の仏教修行者は広く意根の状態を意識の状態と見做しており、現量観行の智慧を具えなければ、意根の具体的な運行状態を眼前に観察することは不可能である。 本書は意根と意識の区別と連関について深く詳細な解析を行い、特に意根と意識が身口意および境界を了別する際の差異を重点的に紹介している。同時に、意根と意識の関連性について、意根と意識のコミュニケーション方法、意根と意識の相互影響、ならびに意根と前五識の区別と連関を解説している。これにより仏教修行者が具体的な実践場面において意根と意識の各自の本質を弁別し、混同を解消する便益を図っている。意根と意識の本質を明確に分かつことによって、容易に意根を証得し、さらに実際に意根を観察することが可能となる。
《意根修証指帰(上巻)》 分類: 読了回数: 12836
本書は主に意根の様々な体性と機能作用を闡明し、仏法の修行と実証における意根の重要な地位と役割を説いています。意根が証果を得る功徳作用を強調するとともに、参究における意根の主要な役割を指摘しています。要するに、仏法の修行と実証は全て意根を主体とし、意根を離れては修行も論じ得ず、まして実証に至ることはなく、修めたところで結果を得ることはありません。一切の法の修行は意根に帰着し、意根に到達してこそ初めて実質的な意義と結果が生じ、成就が可能となるのです。 末法の世の衆生は心が浮つきやすく、善根が浅く乏しく、貪欲が深く、福徳が薄いため、世俗の忙しさに追われ戒律を保つことも難しく、禅定を修めることも困難で、心を清浨に保つことができません。仏法を学ぶ者たちは概して知識の習得に偏り、学んだ理論や意識の情思意解を実証と見なし、推測や推理によって導き出した結論を実証と錯覚し、自ら誤りに陥った上に他者をも誤らせています。もし意根の体性を理解すれば、実証の相貌と情思意解の区別を知り、実証の要所と核心を把握することで、この種の誤りに陥ることを避け、大妄語の罪業を犯すことなく済むでしょう。
古来より、仏道を学び修行する人々の極大多数は意根について十分に理解しておらず、意根は非常に神秘的で、理解し難く証し難いものと感じています。彼らは意根の機能を意識の機能であると誤解しているため、多くの誤解や不可解な点が生じ、深い修学の妨げとなっています。本書は意根の様々な本質と機能作用を多角的に解明し、意根と色身・業種・無明・禅定・神通・如来蔵などとの関係を極めて明確に説き明かしています。曖昧さや多義性を一切排除し、巧みな方便をもって修行者を導き、意根を見出させ、意根を観行させ、意根と意識の差異を識別する智慧を次第に高めていきます。本書は末法の衆生の修学に多大な助けとなり、成仏の道程における修行に非常に明確な指針を与えることでしょう。
意識は仏法の修証において最も有力な助手であり、これを用いて仏法に触れ、仏法を思索し、正しい知見を獲得し、その後意根を薫染させ、最終的に実証に至ります。意識の機能作用は一般の人々にも観察可能であり、その特徴は多岐にわたりますが、総合的な特徴は生滅変異無常です。しかし多くの仏法修行者は意識の個別的な性質を不生不滅の第八識の機能と見做し、こうして真妄を混同し、往々にして誤った悟りに陥りがちです。 本書は意識の種類、作用、生起の原理、生滅変異の過程などを詳述し、意識と第八識の体性が大きく異なることを明示しております。これにより両者の区別を容易に認識し、もはや意識を真実と認めることなく、正しい禅修行の道を歩み、一生の修行の功を無駄にせずに済むのです。凡夫は皆、意識を自己の真実の霊知性としています。なぜなら内心に覆障が重く、真心第八識の実質的な作用を見ることができないためです。もし意識の断続的な生滅性を明確に認識できれば、速やかに我見を断じ、生死の問題を解決することができます。よって意識の体性を理解することは極めて重要であります。
現代の仏教界は実修を重視する方向に向かっているようですが、そのスローガンや宗旨も実証を掲げていますが、実質的には依然として実修や実証に及んでおらず、何が実修であり何が実証であるかを知りません。もし修行が禅定に及ばず、意根に深く染み渡らないならば、それは全て実ならぬ修行であり、浮き草のように漂い定まらず、その結果は理解のみあって証しがなく、しかも皆が証したと思い込んでいます。このままでは、表面的に繁栄している仏教は次第に衰退していくでしょう。大衆は盲目に修行し、何を修めているのかを知らず、修めも証しもなく、ついには解悟さえも見られなくなり、ましてや悟りの証しなど望むべくもありません。このように続けば、真の悟りの法則は断絶して伝承を失い、誇大な仏法学習の方法に埋もれてしまい、実際の受益者は存在しなくなり、仏法の舟筏ももはや衆生を渡すことができなくなるでしょう。よってここに実証を強く呼びかけ、実修を提唱する必要があります。これにより仏の本懐を明らかにし、善根・福德・因縁の備わった者を速やかに成就へと導き、自らも渡り他者も渡すことができるようになるのです。
《ブラックボックスの世界 》 分類: 読了回数: 16971
黒い箱は暗く狭い空間あるいは場所に譬えられます。私たちの脳もまた暗く狭く、まさに黒い箱のようです。脳が私たちに知覚させる空間は非常に広大であるにもかかわらず、です。私たちの知覚活動は脳という黒い箱の中で行われ、知覚される法もまた脳の黒い箱の中にあります。能知も所知も全て黒い箱の中に存在するため、私たち衆生は黒い箱の中で生きていると言えます。このように、私たちの知覚はどれほど不真実で信頼できず、知覚された法はどれほど虚妄で不真実であり、私たちが頼りにする脳もまた生滅変異するものであるならば、五蘊世間とは一体何なのでしょうか?それとも何でもないのでしょうか?この問題は私たちが生生世世そして歴劫以来持ってきた生命に対する認識のすべてを覆すに足るものです。どうか皆様、本文に沿って深く考え、生命への認識を高め、真の解脱の智慧を獲得されますようお願い申し上げます。
《意根修証指帰 下部》 分類: 読了回数: 6397
本著は主に意根の様々な体性と機能作用を論じ、仏法修行と証悟の過程における意根の重要な地位と役割を明らかにしています。意根が果を証する功徳作用を強調するとともに、参究における意根の主要な役割を指摘しています。要するに、仏法の修行と証悟はすべて意根を主体とし、意根を離れては修行も論じられず、ましてや実証など到底及ばず、修めたところで何の結果も得られないのです。一切の法の修行は意根に帰着し、意根に到達してこそ初めて実質的な意義と結果が生じ、成就が可能となるのです。 末世の衆生は心が浮つきやすく、善根が浅薄で、貪欲が強く、福徳が薄い。世の雑事に忙殺され戒を保つことも難しく、禅定を修めることも困難で、心を清浄に保つことができません。仏法を学ぶ者たちは概して知識の習得に偏り、学んだ理論を往々にして意識的情思意解を以て実証と錯覚し、推測や推理によって導き出した結果を実証と見做し、自ら誤りを犯した上で他者をも誤らせています。もし意根の体性を理解すれば、実証の相貌と情思意解の区別を知り、実証の枢要と核心を把握することで、この種の誤りに陥ることを避け、大妄語の罪業を犯すことなく済むでしょう。
《色法略説(草稿)》 分類: 読了回数: 4650
色法略説
《「意根心所法―実修の指帰 第二版(増補三万字・再編集・再構成)」》 分類: 読了回数: 4673
意根の心所法とは第七識が有する法であり、第七識が運行過程において示す心の作用の軌跡である。 意根の心所法は非常に検証が困難である。意根の現量観行は地上菩薩の智慧の境地であり、悟りを開いた者でも現量観行はできず、相似た理解を若干得るに過ぎない。悟りを得ていない凡夫衆生においては、なおさら意根の心所作用を現量観察することは不可能である。 意根の心所法は極めて複雑である。一切衆生が無始劫以来に積んだ善悪の果報は、全て意根の善悪の心所法によって成就される。凡夫が三善道にあろうと三悪道にあろうと、また四種の聖人たる阿羅漢・辟支仏・菩薩・仏の殊勝な果報であろうと、全て意根の善悪の心所法によって成就されるのである。地獄から仏に至る果報の差別がこれほど大きいのは、全て意根心所法の差異によるものである。衆生の意根の心所法がこれほどまでに異なる以上、衆生の類別に応じてそれぞれの意根の諸心所法を分けて述べる必要があり、一概に論ずることはできない。 意根の心所法は不変のものではない。修行の過程とはまさに心所法を転換し変化させる過程である。 全ての無明は意根に存する。意根が法を証得しなければ、無明を打破することはできない。意識の無明を打破しても無意味であり、何ら変革をもたらさない。一切法の修証は必ず意根の心所法に触れてこそ、根本的な問題を解決し得るのである。
《『金剛経唯識深義 第二版』》 分類: 読了回数: 13300
『金剛経』全体の宗旨を観ずるに、その要は相を破り、相を破り、相を破ることにあり。四相を破ることを始めとして、一切の法相を破る。凡べての相は皆な非相であり、非非相であり、法に非ず、非法に非ず。これら一切の相を破る根拠は、不生不滅の金剛心にあり。『金剛経』が相を破る過程と結果は、観音菩薩の耳根円通法門と遥かに呼応し、空ずべき一切を空じ尽くし、ただ如何なる手段をもってしても空じ得ぬ金剛般若の心を彼岸に、彼岸に非ず、非彼岸に非ず、孤寂にして侶無きも、ただ一真法界を留め置く。『金剛経』はまた一切の般若経典・大乗経典と遥かに呼応し、互いに相照らして些かの違和も無く、空の外には空のみあり、空の極みに至れば、空に非ず、非空に非ず。